大学教員として生きる道

著者は40歳代の都内中堅私大の准教授です。大学教員になるまでの経緯、日常の出来事などを記録します。

大学教員の仕事内容

近隣の方や学生時代の旧友などと世間話をした際に,大学って休みも多いし,授業やって学生と楽しそうにして給与もらっていいねっと,冗談交じりに言われることがある.

 

そんな時私は,「まあ,比較的自由時間もあるしいい仕事だよ.」と言った後,「そうは言うものの少子化で学生数も減る傾向で,授業だけでなく雑用も多いよ.」という話を付け加えます.それ以上は,細かな話になるのでその場はしのぎますが,ではその雑用を含め,大学教員の仕事って一体何があるのだろうかと振り返ってみることにした.

 

「教育」

・授業,授業準備,試験,採点,成績つけ

・授業研究

 

「研究」

科研費研究,研究計画作成,研究実施,データ収集,論文作成

・学会発表(年4-5回)

・研究会出席(年5~6回)

・論文執筆(年2~3本)

・論文査読

 

「社会貢献」

・市民講座

・講演

・地域のイベント手伝い

 

「事務・大学運営」

・入試業務,AO入試,一般入試,センター試験,地方入試

オープンキャンパス

・会議,学科会議,図書委員

・サークル活動顧問

 

【一般的な一日の時間】

9:00 出校

9:00~10:30  メールチェック,返信,打ち合わせ

10:30~ 授業

12:00~13:00 昼休み

13:00~ 授業

15:00~17:00 学生対応,事務仕事

17:00~20:00 研究,授業準備

20:00~  帰路

 

こんな感じではないだろうか.

残念ながら普通の会社員と何ら変わり映えのしない平凡な1日だ.私のような,中堅私大で,まんべんなく様々な業務を遂行する教員が一般的だろうが,自分は研究しか興味がないとか,尖った教員もいるだろう.そのような立場に憧れはあるが,今の私の環境ではちょっと難しいのが現状だ.

 

だが,夏休み期間(約50日),春休み期間(約60日間)はこればかりではない.

長期休みの過ごし方は別の機会に触れてみようと思う.

 

 

任期付教員の更新について

昨今,大学教員はたとえ教授であっても任期制で雇われているケースもある.

幸い私は任期のない准教授として雇われているが,同じ職場には任期制の助教,臨時職員,研究員,非常勤など様々な立場の人が協力して仕事をしている.

 

もちろん,色々な立場があって個々人によって様々な働き方があることは良いのだが,時と場合によっては同じ仕事をしているのに立場が異なることや,場合によっては職階が上であるにもかかわらずロクに仕事もしない・・・など,嘲笑,揶揄,嫉妬など複雑な感情を無意識または意識的に持つ場合もある.

 

任期制の場合,3年更新最大5年まで,だとか5年更新再雇用ありとか様々な条件が付く.

 

そこで,教員の力量を平等に評価しようとした時に利用されるのが研究業績であったり,教育歴,社会活動などであったりする.しかし,あまりにも露骨にこれらが教員の評価指標に使われると「研究を何のためにするかという」根源的な問いに対する答えが,「任期を更新するために」とか,「職階を上げるために」とか本来の目的から外れたところに研究目的が置かれるので,それも危険である.

 

しかしながら,一定の研究能力,教育力を有することは大学教員として仕事をしていくために必須の能力だ.若手の任期付教員の中には,教育歴がまったくなくその職に就いているものもいれば,逆に研究歴が全くなくその職に就いているものもいる.それらの教員に対して教育をしていくことも,組織としては必要なことだ.私自身も30歳代前半で大学に就職した際には教育歴が全くない状況から,少しずつ経験を積ませていただく機会を得てきた.

一方では,博士の学位を取得して何年も経過しているが,教育・研究の職に就けない者もいる.平等に評価することは難しいが,任期更新のための最低限の研究業績のリクワイアメントをクリアできない教員は若手の優秀な方にその職を譲ったほうが良いだろうと感じる今日この頃である.

 

 

 

既存の価値観にとらわれるな!!

研究をするものにとって,オリジナリティは重要なキーワードだ.

オリジナリティとは,ウィキペディアによると独創性,独自のものと記載されて,複写、複製の対義語として紹介されている.

 

研究の重要な視点は,今まで誰も思いつかなかったこと,経験したことがないこと,つまり新規性や独創性があるかどうかが重要だ.

では独創的な研究はどの様にしたら可能になるのかは興味深いテーマだ.

この疑問に対して私は明確な答えを持っている.

 

独創的な研究を行うには独創的な発想が必要だ.

さらに独創的な発想をするためには,独創的な発想ができる環境が必要である.

 

ではその環境とは何かというと,それは人とは異なる環境に自分の身を置くということだ.発想を変えるには自分の生活環境を変える必要がある.つまり,毎日同じ電車,同じ道,同じ建物,同じ部屋,同じ人間関係の中にいてはなかなか新しい発想をすることは難しい.

したがって,研究に行き詰ったり,新しいアイデアが浮かばないときは自分の回りの環境を変えることから始める必要がある.逆にいうと環境さえ変えてしまえば,脳に新しい刺激が入り新しい発想が生まれるといえる.

 

数年前だがあるゲームメーカにて仕事で打ち合わせる機会があった.その打ち合わせ場所はゲームメーカの社内であったのだが,会議室ではなくオープンスペースで3~4階ぐらい上から人工の滝が流れていた.ともすると滝から流れる水の音で会話が聞き取りにくい程なのだが,いつもとは異なる雰囲気で打ち合わせをすることができた.

別の某大手製薬メーカを見学をした際には,広大な敷地の一角に屋根の上から野菜が育っている木がある部屋があった.

 これらは,全て新しい発想をするために環境を人工的に変化させている例だ.

 

話は変わるがノーベル賞受賞者にかなり近い位置にいる有名な研究者の講演を聞いた際に,その方は京都大学では落ちこぼれであったが米国に留学して一気に才能が開花したとおっしゃっていた.この例は環境を変えることによって,人の行動や発想が変わるということだと思う.

 

したがって,既存の価値観にとらわれることなく,思い切って新しい環境に身を投じることで化学反応が起こり,新しい発想で仕事をすることができると思う.

 

 

 

 

急に舞い込んできたTV取材

今日,たまたまちょっと変わった仕事が舞い込んできた.

私が関わっている研究分野で,TVの取材をしたいということであった.

 

こういう仕事は急に舞い込んでくる.初めに連絡があってから,3日後にTV撮影という超タイトな感じであったが,色々な関係もあり引き受けることになった.

 

取材の部屋に入るなり,大きなカメラがセッティングされていてスタッフが5-6名いて皆さんと名刺交換をするなり,では椅子に座ってください,という感じで20分ぐらいの取材を受けた.このような仕事は私にとってはじめての経験であり,大変勉強にはなった.よくTVに出演している有名大学教授は,おそらくこのような仕事を難なくこなし,TV局の関係者の期待を大幅に上回るパフォーマンスをしているのだと思う.

 

私にはあまりそのような野望はないので,無難に終えてホッとしたところだ.

 

様々な質問を受けて改めて感じたのは,日々もっと勉強をしておかないといけないなということだ.論文を書いたり,学会発表を行ったりするのは,ある程度の時間をかければ可能である.つまり,分からないことは調べたり,聞いたり,文献を引用したりすると解決できる.しかし,TV取材となると予め頭の中に多くの知識が詰まっていないと,とっさの質問に意義のある回答をすることができない.

常に最新のトピックスであったり,一般の方が興味を持つような内容にも的確に回答できるように準備しておく必要を感じた.

 

 

裁量労働制について

大学教員の土日にはやるべきことがいっぱいある。何があるかというと、まずは学会、研究会など他大学の先生方と集まる会は土日が多い。そして、一般向けの講演会や入試なども土日が多い。

 

そして、研究活動そのものが大学の授業がない土日にしかはかどらないという現実もある。考え方によっては最近問題となっている過剰労働に該当するのかもしれない。

しかし、以前にも書いたが大学教員は裁量労働制なので、土日に仕事をしても平日に上手く時間を使って疲れを取ることができると思う。学校によっては教授でも出勤簿に記録を付けないといけない所もある様だが、そうなると土日にした仕事について残業代や休日出勤代を払って欲しいという要望がでたりするかもしれなく、複雑になってくるだろう。

大学教員が仕事の時間を管理されると人によっては土日には仕事をしなくなる危険も出てくる。だから、裁量労働制は絶対に死守しないと大学自体がおかしなことになってくると思う。もう一つ、研究者にとって裁量労働制の良いところは研究活動には波があるので、一気にかたずけ得ないといけない仕事がある時に時間を自由に使えることだ。時には締め切りに間に合う様に徹夜で論文を書かなければいけない時もあるが、次の日はゆっくりしたいと思う。

しかし、この裁量労働制を都合の良い様に解釈する人が増えてくると厄介だ。土日も仕事をしないし、平日も授業しかしないダメな教員も確かにいる。

そのようなダメ教員にならないよう日々精進しなければならない。

 

私の中では最低1年にファースト論文1本はノルマにしている。多少の波はあるがこの10年でファースト論文はちょうど10本であった。このペースでいくと20年後論文が30本になる。しかし、このペースでは遅いな。Dマル合の資格の目安が論文30本程度と言われているから、それだと博士号取得者を数人しか出せないことになる。最低1年に1本はノルマとして,1年に2本だせるよう頑張ろう!

 

 

 

4月1日,科研費 勝負の明暗!

 

大学に勤める研究者にとって,数年に1回の4月1日は勝負の明暗がはっきりする日だ。

昨年度の秋に申請した科研費の採択結果がわかる日だ。

小中学生の通信簿のような意味もあるし,この先数年間の見通しが立つかどうかの目安となる。

 

私は大学教員になって,8年経つが今まで1年だけ科研費が途絶えた時がある。その時は本当に悔しかったし,民間の研究助成に応募して何とかしのいだ記憶がある。

 

昨年、夏に申請書のアイデアを考えている時と科研費申請時期にこのブログ記事で下記の内容を載せた。

 

shiranaitoson.hatenadiary.com

  

shiranaitoson.hatenadiary.com

 

今回の採択によって向こう3年間の見通しがついた。

 

教員になりたての頃は,自分の責任に基づき研究を進行できる喜びを感じていたが,ここ最近は採択された嬉しさと同じぐらい,採択されたからにはやらないと,という責任感の方が大きくなってきたように思う。

 

科研費に採択されるにはいくつかポイントがある。

1.研究業績が十分にあること

2.研究業績が研究計画と合致しているかどうか

3.研究計画に新規性や発展性があるかどうか

4.研究計画を遂行する環境が整っているか

5.審査員がこの研究にお金を費やして良いと思えるかどうか

 

そのようなところだろうか?

私が在籍する部門では科研費の申請をしない教員もいるし,申請をしたけど不採択だった教員もいる。或いは,私なんかよりもっと大規模な予算を獲得して,大きなプロジェクトを進行させている教員もいる。

申請しない教員には科研費に採択されると,余計な仕事が増えてしまうという人もいるかもしれない。科研費の数百万円の予算など学生(親御さん)が大学に支払う授業料に比べると安いものかもしれない。学生一人が退学すると大学4年間で換算すると,大学に入る予算は基盤Cに匹敵するぐらいかもしれない。そのように考えると,科研費の採択を受けて研究を行う以上に学生ひとり一人を満足させる教育が必要かもしれない。

 

しかし,科研費の採択を受けるということは,他大学の審査員が研究計画に対して太鼓判を押してくれたことだろうし,研究費を使って研究を推進させること,論文を発表したり学会発表をすることは,大学の価値を押し上げることにも役立つし,教育の質を高めるためにも必須であると思う。

 

私が勤めている大学では,科研費の採択者に対して奨励金という形で自由に使える予算が30万円/年つく。これは意外と大きく,直接経費では購入しにくいものなど研究環境を整えるために大変役に立つ。隣の国,韓国では国の助成金の採択者には最大で給料が1.5倍まで増える制度があると聞いたことがある。

わが国でも,一所懸命に研究を行い成果を出している教員には給与を高くして,そうではない授業しかやらない教員の給与は少なくするなどの給与計算も必要ではないかと思う。

研究費は税金の一部なので,この予算を使って国民の役に立つ研究をしなければならないし,その重責に応えられるだけの努力をしなければならない。

何はともあれ,幸先の良い平成29年度のスタートだ。じっくりと取り組み,お世話になった方々の恩に報いることができるよう頑張ろう。

 

 

 

 

研究会での発表

とある研究会で発表するために沖縄へ来た.学会や研究会に参加するとで得ることが沢山ある.今回,同じ領域の先生と交流することで自身の研究を進めるために大変有用であったと感じることができた.研究会に参加する意義を振り返ってみた.

 

1.最新の研究や国内の動向を知ることができる

2.かつての同僚等と交流を持てる

3.その地域の風土・文化を知ることができる

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私は学会や研究会に参加する時にはなるべく発表をするようにしている.

発表しないで学会に参加することもあるが,その時は必ず1回は質問をすることを自分に課している.質問することで演者が自身の研究の課題を見つけたり,今後の方向性を考えるきっかけを作れればと思っている.逆に,自分が発表した時に質問があまり出ないときは,発表の内容が面白くなかったということで反省しないといけないと思う.

 

今回の研究会に参加して感じたことは,大学の事情が地域や大学の規模によって全くことなるという点だ.また,国立大学と私学,旧帝大と地方国立,大規模私立と小規模私立など同じ領域の教員,研究者でも随分と環境が異なるということだ.

特に2018年問題(2018年以降18歳人口が減少し大学入学者が減少すること)の影響を受け,教員の削減や教育改革による授業数の減少などにより分野の縮小が余儀なくされている.これに対抗するのは,同じ領域の教員の協力が欠かせないだろうし,教員自身にも従来のやり方を踏襲するだけではなくイノベーションが必要だろうと思う.また,高等教育局の動向や中央教育審議会の動きにも目を光らせておかなければいけない.

 

研究会に参加して良かったと思うのは,規模が大きすぎる学会だと如何にも大規模な予算で最先端の研究をしている研究者が注目される訳だが,小規模な研究会では大学の規模や研究の予算規模にかかわらず同じような興味や関心を持っている先生方が参加するので,より親密な交流ができるということが挙げられる.だが,最近,あまりにも同じような学会や研究会が増えすぎて収集が付かなくなっていると感じる.