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大学教員として生きる道

著者は私大の准教授です。大学教員になるまでの経緯、日常の出来事などを記録します。

研究者の実力は論文の本数? それとも論文の内容?

大学教員を目指す大学院生,PDにとって論文の本数はとても重要だ.

博士号を取得するために,学術雑誌へのアクセプトが条件になっているケースもあるし,最近は,英語論文でのアクセプト2~3本が博士号の条件になっている大学もある.したがって,博士号を持っているということは英語論文が書けるということは当然であるという見方が一方ではあるといえる.大学教員を目指す若手研究者にとっても,論文の本数は多い方が一般的には優秀な研究者であると見なされると思う.

 

私が専門とする分野は自然科学系なので,人文社会学系では同じことは言えないかもしれないが,論文の本数は多い方が研究者として,あるいは教員として高い評価を得るのは当然であると思う.

 

しかし,若手研究者へのメッセージとしてこれだけは勘違いしないで欲しいと思うことがある.論文は人に評価されるために書いているのではないということだ.研究は社会の未解決な事を明らかにしたり,未知な分野を開拓することに意味がある.営業マンが売り上げで社内で評価されるのとは訳が違う.自然科学系の研究者にとって論文の本数を増やすことは簡単であると思う.同じ分野の研究を続けているのであれば,対象者を変える,方法を少し変えるだけで論文が量産できる.このような方法で,研究業績が沢山ある若手研究者はすぐに見抜かれる.大事なのはオリジナリティ,社会的意義,新規性,インパクト,イノベーションを起せるか,などではないだろうか?

 

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若手研究者にとって数をこなすことと研究の質を高めることの両方が必要だが,あえて言うならば数は重要だ.研究者は歌手や画家と似ていると思うのだが,一発ヒット曲,ヒット作品を出すと一躍有名人になるがそのあと続かない歌手や画家がいる.以前,バルセロナピカソ美術館に行ったときに,ピカソが若い頃に描いた絵画がびっしりと数多く展示されているのを見た.絵の内容は,ピカソの有名な奇抜な作品ではなく,ごく普通のスケッチなどが大半であった.そのような多くの作品を描くなかで,ブレークスルーするポイントがあったのだと思う.はじめからオリジナリティが高く,高インパクトな研究はそう簡単にはできない.そうであるならば,1つ1つ確実にこなしていくような取組みも重要だ.その中でブレークスルーするような域に達する研究がなされると思う.

 

しかしながら,これまでの私の経験上,論文の本数が多いからといって大学の教員公募を通過するとは限らないことは伝えたい.大学教員に採用されるか否かという視点ではマッチングが一番重要だと思う.これはもう,結婚と同じで相手(採用する側)と自分(採用される側)の相性が合うかどうかの方がより重要だと思う.極端な話,大学によっては研究に勢力を出すのならば,教育や事務仕事,学生募集に力を注いでほしいと思っているところもあると思うし,一方,研究をしっかりと行い次世代の研究者を育成して欲しい大学もあるからだ.人事の数だけものさしがあるということになるのであろうが,結婚相手を見つけるときに女性が花嫁修業をしたり,花嫁道具を用意するのと同じで,もちろん男性もきっちりと職業につき男を磨かないといけないのと同じで,研究者である以上,研究業績はしっかりと準備しておいた方が良いだろう.その時に論文の本数なのか論文の内容が評価されるのかは,最終的にはお相手となる大学側の判断になると思う.

 

 

  

科研費に採択されるためにやるべきこと

 

今回は自分への言い聞かせであるので,万人に参考になるかどうか分かりませんが興味のある方はどうぞ.

 

大学教員である以上、科研費男のロマンだ。世界に一つとない新たな挑戦を行い、そのようなチャレンジに対して科研費の採択を受け研究を行い世の中を良い方向に導くことが出来れば最高だと思う.

 

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10年ぐらい前から科研費申請に関するマニュアル本がいくつか出版されている.私も研究者になった初めのうちは興味があってそのような本も手にしたが結局は,実力がないと採択されない.では,その実力とは何かを追及しないといけない.今回はあくまでも科研費に採択される上での実力として考えたい.研究者の実力については別の機会にまとめたい.

 

まず,科研費申請書には初めの数行で研究目的を記入する欄があるので,そこで審査員の目に留まらなければ採択されない.聞くところによると審査員は,正月明けの忙しい時期に一人100件ほどの審査書類に目を通す必要があるとか.そうであるならば尚更,審査員に印象づける必要がある.世界に一つとない新たな挑戦であるかどうかだ。

 

次に,業績欄にしっかりと申請者の筆頭著者名で埋まっているかどうかが重要だろう.申請者自身に研究遂行能力があるのか,研究者の研究環境が目的とする研究を遂行するに値するのかどうか,そのあたりも重要だと思われる.

 

そして,何よりパッションが伝わってくるかどうか.

申請書から,じゃあぜひこの研究を進めて世の中に役立てて欲しいと思わせることができるかどうかが勝負だ.

 

最後には体裁も手を抜くことはできない.誤字脱字のチェックはもちろん,予算の内容,根拠,倫理的配慮など抜かりなく記入することである.

 

研究者として駆け出しの大学院生時代に先輩より,おまえの書いている文章は何が言いたいのかよく分からないと叱られたが,自分の文章を30回読み返せと言われた.そうすると自分なりに文章のつながりなどおかしなところが見えてくるようになってきた.

ちなみにこのブログは,ノーチェックで思いつくままの乱筆ですので,ここまでお付き合いいただきました読者に感謝です.

 

大学の偏差値とは何か?

 

大学はよく難易度別に偏差値でランク分けされて,Sランク,Aランクなど毎年更新されているのを見る.

 

しかし,大学内部から見た偏差値というのを大学教員の立場から考えてみたい.

私は,大学ランクでいうところの中堅大学に勤めているが,学内でも学部や学科によって偏差値は大きくことなり,偏差値40台後半~50台全般ぐらいに分布している.したがって,この大学名別のランキングは学部や学科が考慮されていない場合,あまり意味をなしていない.

 

大学の偏差値は,入試に向けた模試を基準にしていることが多く,偏差値が40台の大学(学部・学科)では,入試に向けた模試を受験せずに本番で試験を受ける学生も多くいる.その場合,ごく数人が受けた模試の結果が偏差値に反映することがあり,実際の学力よりも高い偏差値になったり,低い偏差値になったりすることがある.

 

学生たちと接していて感じることは,同じ偏差値が50ぐらいの学科内でも優秀な学生もいれば,そうでない学生もいる.当たり前のようだが,この偏差値ランクというものがあるせいで,この大学に行っている学生は,大体このぐらいだなというレッテルが貼られているのもどうかと感じることがある.

 

 

 

 

このブログを読んでいる高校生に伝えたいことは,大学選びは偏差値だけではなく,大学に足を運んで選んで欲しいということである.私が高校生の時にはオープンキャンパスなんて言葉はなく,受験をする大学選びは偏差値を基準にすることがほとんどであったように思うが今は大学もかなり開かれているように思う.是非,実際に勉強をする環境を自分の目で確かめた上で進学する大学を選んで欲しいと思う.

 

大学生に伝えたいことは,自分の大学の偏差値を気にせず学問に励んで欲しいと思う.勉強すればするほど脳細胞は活性化されるので,高校生時代の学力=偏差値に縛られないで興味のある分野の勉強をしっかりとして将来につなげて欲しい.

 

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企業の人事担当者に伝えたいことは,採用時に偏差値で足切りをせず埋もれている才能に目を向けてほしい.容易ではないと思うが,個々の学生の将来性を見抜いて欲しい.

 

大学選びは大学教員を目指す研究者にも当てはめることができるかも知れない.日本にある多くの大学は明治以降に設立されており設立に至った経緯や学祖の考え方も大学によって大きく異なる.いくつかの大学に勤めてきて感じるのは同じぐらいの偏差値でも学風が自分に合うかどうかも重要な視点だと思う.

 

一方,現場の感覚として偏差値が70を超える大学で非常勤講師として授業を行った際はとても理解度が高いと感じるし,40台の大学で行う方法とはやり方が異なってくる.しかし,これは集団を対象とした場合であって個々の適性や能力までは考慮していない.

そのように考えると大学名別ランキングの偏差値とは,母集団の平均値を表しているに過ぎず,人を評価する物差しではないということは改めて強調したい.

  

学会について

先日,私が専門としている分野の国内学会に参加してきた.

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学会に行く目的が若いころと少しずつ変化してきたと感じる.

 

研究者として走り出した大学院生時代には,とにかく新しい情報を知ることや関心のある研究に触れることが楽しくて仕方なかった.

 

院生の最後の方や任期付きのポスト時代には,自身の研究を発表することで同じ分野の先生方と交流できることが楽しくなってきた.どこかの大学の先生の目に留まり,引き抜いてくれないかなあなど下心も少し出てきた.

 

そして,現在はもちろん,研究者を目指した初期と同じような好奇心や新しいことを知るモチベーションはあるのだが,他の大学に勤める同僚と大学の環境などについて情報交換することに価値を見出してきた.共同研究の打ち合わせなんかも少しづつ行うようになってきた.近い将来は,自身が教育した学生がよい発表をして周りの先生方に評価されるようになって欲しいと思う.

 

様々な大学の先生方と交流する中で得たことから,若い院生やPD,任期付きの先生に,はっきり言おうと思うが,大学教員といっても大学によって全く環境が異なるということは伝えたい.それりゃそうですよ.学生の入学時の偏差値だって,大学によっては倍ぐらい違いますから.私学だって建学の精神が様々ですので.大学間の差は職業間の差と同じかそれ以上かもしれない.とはいうものの就職活動をしているときに研究機関を選べる立場の研究者って数少ないと思う.就職して実際に働いてみないとわからないことは多々あると思うが,これから就職活動をする大学院生やPDの方には,是非,学会を通じて研究内容のみならず,様々な情報交換をして納得がいく環境を見つけて研究・教育に励んでもらいたいと思う.そして,運よくどこかの大学,研究機関に就職できたら,その環境ででき得る限りの努力をすることで,先が見えてくると思う.と自分にも言い聞かせて科研費申請頑張るぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育と研究,どっちが大事?

大学に勤めていると様々な仕事が舞い込んでくる.学内の各種委員会,担任,サークル顧問などは,私が大学教員になりたいと思っていた院生時期には想像していなかった.

 

教員の校務のなかでも議論になるのが「教育と研究どっちに重きを置くのか」ということがある.

若手研究者は,研究を進めたいから大学教員になろうと思う人も多いと思うが,教えることが好きだから大学教員になりたいという人もいるだろう.或いは、自分が専門とする分野の後進を育てたいという人もいるだろう.

 

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先日、FD研修に出席したのだが半ばイヤイヤ、大学教員として約10年弱教壇に立つ身として今更、授業の進め方など他人に説教されたくないと思っていた.おそらく,その場にいた多くの教員もそのように感じていたのではないだろうか.

 

いや,蓋をあけてみればこのFD研修に出席したことにかなり意味があった.内容はともかく,他の先生の授業を受講できたことに価値があった.この人は研究をしたくて大学教員になったのだろうと思う先生や,この人は教育を重視しているのだろうとか良くわかった.どっちに重きを置くことが大切なのかということはあえて議論するまでもなく,どちらも大切という結論になるので控えるが,あまり教えることに興味がないのか,下を向いてメモ帳のようなものをボソボソと読むだけの先生の授業には吃驚した.斯くいう私自身,板書の使い方や話し言葉の抑揚など反省すべき点を指摘された.

 

研究重視の教員にあえて,ひとこと言うとすると給与はどこから出ているのか考えてほしい,ということである.つまり,科研費で数百万,数千万獲得しようが,私学の場合,学生1人から約年100万円の授業料等が大学に収められているので,1年生の学生1人が退学すると大学として約400万円の損出がある.もちろん,研究費の獲得により専門分野の研究を進めることが大学の価値を作り出しているとすると,そのことはお金には換算できない価値があり重要なことは良くわかる.それであれば,その専門性を学生教育にて還元しなければ意味がないであろう.

一方,研究をあまりせずに学生教育ばかりに重点を置いている教員にひとこと言うとすると,高等教育機関の意味を考えて欲しいと思う.大学卒業後,修士課程,博士課程を経て,さらにはPD,助手,研究所などを経て漸く掴んだ崇高な職域であることを認知して欲しい.大学教員になる前に受けた教育にどれだけの公的な支援を受けているのかということも考えなければいけない.但し,矛盾しているようだが最近の学生をみていると基礎学力の向上や一般常識を身につけることに教育の時間を割かなければいけない事情もあることも良くわかるのだが..

 

 

はじめの議論である教育と研究の重要度だが,これは大学のレベルや専門分野にもよるであろうが,大学教員である以上,自身が進めた研究成果や学会等で収集した最新の情報を学生教育によって次の世代に還元しないといけないことには間違いないであろう.基礎学力の向上や一般常識の教育に大学教員の時間が割かれるということは必要なことかもしれないが,根本的には間違えている.国策としては小・中・高の教育を充実させ,大学では専門性を高める教育が必要であると思う. 

 

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科研費の季節

 

研究費の確保は大学に勤める研究者にとって生命線だ。

 

学内の研究費でも十分に研究を進められるという場合もあるだろうが,多くの教員がもう少し予算があればあんなことも,こんな事も出来るのにと感じるであろう.

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科研費は研究者の自由な発想に基づいた計画で利用出来る最も適した予算だと思う.若手研究者の登竜門として,スタート支援や若手研究Bは20〜30歳代の大学教員にとって最も獲得しやすい予算だろう.採択率は25〜30%程度なので3〜4人に1人は採択されることになる.

 

斯く言う私は過去に科研費3回採択されたが,3回不採択があった.なので特別に優れた研究者でもなければ,ダメな研究者でもないごく平凡な感じだろう.以前の職場の上長は,30年間科研費が途切れた事がないと仰る強者であったが,やはり研究業績も半端ではなかった.

 

少ない経験ながら採択された時と不採択の時の申請書の違いを自分なりに解釈してみた.

採択時

1. 優れた斬新なアイデアに基づいていた.

2. 研究計画が過去の自分の研究の延長線上にあった.

3. 身分相応の研究計画(研究種目)であった.

4. 研究業績がそれなりにあった.

5. 自分の強み(専門性)と合致していた.

不採択時

1. アイデアが2番煎じ

2. 過去の自分の研究との継続性が乏しかった.

3. 研究種目を背伸びして選択していた.

4. 研究業績が乏しかった.

5. 日本,世界で唯一無二ではなく,自分が強みとする内容から少し外れていた.

 

 研究のアイデアは常にその事を考えていて,ふとした拍子に別の場面で訪れる事がある.その時に実現性を考え,ある程度の計画が立てられるかが勝負だ.残り少ない時間をどう埋められるか,色々と考えて悩んでみたいと思う.

 

 

 

 

集中力を高めるために

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集中力を高めることは,研究職に限らずどのような職業でも必要なことであろう.しかし,やらなければいけないことがあるのに,いざ机に向かうとなかなか集中できないという経験は誰でもあるのではないだろうか.ではどのようにすれば集中力をアップさせられるのか.

 

ごく一般的なことを言うと,目標があるとそれに向かって頑張れるので目標を設定して物事に取り組むという方法がある.確かにそれは正しいのだが,今やらなければいけないことと目標が乖離していて実感が持てないこともあるだろう.今集中できないというのは目標設定のみが原因ではないと思う.

私はこれまでに,様々な自己啓発本を読んできた.だが,どの本を読んでも読んだあとはモチベーションが上がるのだが,数日するとまた元の自分に戻っている.どのようにすれば,自己啓発本を読んだ直後のようなモチベーションと集中力を維持できるのだろうか.

 

 

私が集中したいときに行うことを箇条書きにする.

 

1.コーヒーを飲む

  ⇒カフェイン効果で交感神経を働かせる.

2.腹六分目にしておく

  ⇒お腹一杯になると副交感神経が働き眠くなるので,お腹は一杯にしない.

3.坂本龍一の曲を聴く  

  ⇒クラシックでも良いが,ゆったりしすぎた曲はダメ.あと歌詞があるのもダメ.

4.部屋を暗くして,机の回りだけ明るくする.

  ⇒視界をモニタ,紙に集中させる.

5.インターネットは使わない

  ⇒ネットサーフィンは集中力の阻害になる.調べ物もネットは極力使わない.

 

集中するためのルーティンを自分で作ることが大切だろう.大切なのは環境を変えることだと思う.集中できないのには,集中できない理由があるのでそれを取り除くことも必要だ.イチロー選手は打席に入るまでのルーティンが40個ほどあるらしい.一球,一球にかける集中力は素晴らしいものがある.いつでも集中力を最高の状態に持っていけるのだろう.デスクワークにおいても集中するためのルーティンを決めるという点でイチロー選手の行動を見習いたいものだ.