大学教員として生きる道

著者は40歳代の都内中堅私大の准教授です。大学教員になるまでの経緯、日常の出来事などを記録します。

論文の査読

大学院生時代の苦い思い出がある.それは,初めて学術雑誌に論文を投稿した時のことだ.

 

投稿するまでに研究室の指導教員に投稿OKの返事をもらう必要があるのだが,相当の時間がかかった.指導教員のOKが出た後,投稿した後も査読結果が思わしくなくギリギリ首の皮一枚つながって再査読になった.2名の査読者の判定がB(再審査),C(不可)であったので3人目に査読が回りB判定であったので,なんとか再査読にこぎつけた.

その後も3回程,編集委員とやり取りをして投稿から掲載まで1年半ぐらいかかった.

 

研究室の先輩からも,論理的でないと指摘され何度も何度もやり直しを指導された.この経験は今では自分の財産になっているのだが,当時は何がいけないのか,素直に受け入れるのに時間がかかった.もうかれこれ,10数年前の話だが昨日のことのように覚えている.

 

そんな私が今,2つの学術雑誌の編集委員を担当している.編集委員の仕事は査読をする研究者を探してお願いをして,投稿論文に対して最終的な判断をする.若手の投稿者に伝えたいことはいつも決まっている.査読者は悪気があってコメントを書いているのではなく,前向きに改善することを望んでいるということだ.もし,甘い査読をして論文が掲載されたとしよう.その論文は投稿者の一つの業績になるかもしれない.しかし,内容が論理的でなかったり,分析方法が正しくなければ,間違った形で世にでることになる.そうすると,雑誌の発行者,つまり編集委員編集委員長は責任問題になるかもしれないし,投稿者自身はもっと大きな責任を問われる可能性もある.つまり,その論文の読者が内容を参考にして,次の実験を行ったり,教育に活用したりすることがあり,誤った情報が世に広がると非常にまずいことになる.

 

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だから,どのような研究誌であったとしても,基本的に正しいことは正しい,間違えていることは間違えていると伝えなければいけないのが査読者,編集委員の責任ではないだろうか.そうである一方,若手の研究者が行った研究の内容が論文になって,世の舞台にでることも重要だと思う.若手研究者ならではの研究の着眼点は面白くても,まとめ方がこなれていない為に論文にならずに,消えていくのはもったいないと感じる.